MEMBERS' INTERVIEW

その人がその人らしく、生きられる人を増やしたい

今回は、ユニークなキャリアを送られてきたAtami Stayleの中屋香織さんにこれまでの人生の判断軸やCLUB HUBlicの関わり方などをお聴きしました。


浜松市出身。バリキャリ・結婚・出産・夫の家族との同居・闘病を経て、「自分も家族も幸せになる住まい方」を追求し、2017年に川崎市から熱海市に移住。自身のキャリアでもある不動産の知見を活かして、現在はAtamiStayleを立ち上げ、フリーランスのライフスタイルデザイナー&宅地建物取引士として、今の生活に違和感を持つ人へ自分らしく暮らす相談を行う。

AtamiStayle HP:https://nakayakaori.com/
Instagram:@kaorinakayam


やらないと好きかどうか気づかないから、色々やっちゃうんですよね

1.中屋さんのキャリア

ーー中屋さんのこれまでのキャリアについて教えてください。

高校までは静岡県浜松市に暮らしていました。当時は普通でいることを周りから強要される機会が多くて、みんなと同じは嫌という思いが日に日に強くなっていました。女性は短大に行って保育の勉強をする人たちが多かったのですが、私はそもそも大学に行く意味や目的を見出せませんでした。普通でいることを強要される地元や実家から出たかったので、せっかくなら私の得意なことや好きなことを大学で学びたいと思い、好きだった体育、音楽の2択でピアノの道を選び、音大に入学しました。

音大入学をきっかけにのびのびと暮らせるようにはなりましたが、レベルの高い同級生を見て、ピアノがそんなに得意ではないことに気が付いてしまい、プロになるのは諦めようと思いました。OLに興味を持ち、せっかく音大を卒業するのだから、楽器系の企業に就職しようと楽器卸業者に就職をしました。

OLになりましたが、内勤でやることが決められていて毎日がルーティーンワーク。私はルーティンワークが苦手だったので大変でした。定時で帰れる会社で悪くないけれど、好きなことやらずにいるのも気持ちが悪かったので、やってみたかったピアノ演奏のバイトをレストランで始めました。ですが、30分弾いて30分休んでの繰り返し、ルーティーンワークだったんですよね。面白くないなと思って、そのピアノ演奏のバイトを辞めました。

次はジャズダンスにハマり、週3回のダンスレッスンのために仕事をしていました。レッスンに通いながら5年間ぐらい楽器卸会社にいましたが、今の主人と出会い、ダンス熱が冷めて、一気に主人に移りました。寿退社を経験してみたかったので、仕事を結婚と同時に辞め、専業主婦になりました。ですが、専業主婦は掃除、洗濯、ご飯のルーティーンワークの毎日。結婚3か月でプチノイローゼのような状態になってしまいました。なので一度、主婦のルーティーンワークから離れて、職業訓練校に通い始めました。営業をやりたい気持ちと小さい頃から模様替えなど内装のことが好きだったことを思い出し、住宅リフォームアドバイザーの資格を勉強し始めました。
前列一番左が中屋さん
住宅のことを学んだら、面白くて、結婚して半年後ぐらいに、不動産会社に転職し、9年ぐらいバリバリの営業マンとして働きました。なかなかブラックで、夜中も仕事をしていたのでストレスが溜まったんでしょうね、乳がんになりました。当時、娘は三歳。もし私がこの病気が悪化して死ぬとしたら、娘に何を残したいのだろうと考えた時に、お金じゃないなと思ったんです。今までお金があれば幸せになれると思って一生懸命頑張って働いてきたけれど、お金を稼いでもそんなに幸福度は上がらなかった。じゃあ子どもに何を残してあげたいかなと思った時に、ママと公園で手を繋いで歩いた楽しい思い出を残したいなと思ったんです。

そこで初めて、私が笑顔で自分らしく子どもといるためには何が必要なのかなということを考え始めました。そこから自分のやりたいことってなんだろうと色々深堀していったら、不動産ではなく”空間”に興味があることに気が付いて、不動産会社を退職しました。

退職してから、東京の青山にあるカフェの木陰のテラス席に座って道行く人を眺めながらコーヒーを飲む時間が好きなことに気が付いたんです。その時間はとても心地よかったですが、カフェの行き帰りの電車はちょうど通勤ラッシュ当たってしまい、カフェにいた時との感情の落差を感じ、とてもストレスでした。通勤ラッシュのストレスを感じずに行ける心地いいカフェがあったらいいな、カフェだけと言わずにもっと私が好きなお店を自宅周辺に出してほしいな、そう思っているうちに、これはもう不動産仲介、もっと大きく言えば、まちづくりになると思いました。

 そんなときに憧れていた東京R不動産に転職。東京R不動産の同僚に、建物が建っているエリアの価値を上げ、地域を生まれ変わらせることができるかということに真摯に向き合うリノベーションスクールを教えてもらい、即申し込みました。
 そこでやっぱり私は不動産屋として箱の提案をするのではなく、暮らしの提案がしたいんだなということに気が付きました。その時に民間企業主導でまちづくりをするリノベーションまちづくりが始まっている熱海を知り、私のしたいことが熱海で実現できるかもしれないことを知りました。
  熱海は観光地のイメージしかなくて、移住先として全然眼中にありませんでした。ですが、自分の理想とする暮らしの提案ができるのであれば、ちょっと興味あると思って、調べていくうちに熱海を気に入りましたし、主人も東京の仕事を続けられるギリギリな立地の熱海を気に入って、熱海に移住することを決めました。

ーーこれまで沢山の選択肢を選んできていると思いますが、中屋さんの人生の選択の基準は何ですか?

その時に興味があることかどうかです。ルーティーンワークのような自分にとって興味がないことや、できる気がまったくしないことが選択肢に入ったとしても、すぐに除外してしまいます。

でもやってみたいと思ったことはやってみます。毎回1本の道を極めようとしっかりと向き合う。けれどその道で成功する可能性が低いなと感じると、すーっと極める気持ちがなくなってしまい、諦めてしまう。「やり始めたことを中途半端に投げ出してしまうダメ人間だ」「興味はあるのに続かないならやらない方がいいのではないか」と毎回その度に落ち込みますがやらないと好きかどうか気づかないから、色々やっちゃうんですよね(笑)

熱海に移住場所を限定せず、その人らしく生きられる場所に暮らせるように

2.Atami Stayleについて

ーーAtami Stayleではどんなことをしていますか?
 
 自分らしく暮らしたい人の妄想から実現までをサポートをしています。最初に自分らしく暮らすってどういうイメージなのかをもっと鮮明にしてもらうために対話を行い、相談者さんの妄想がしっかり具体的になってきたら、相談者さんが自分らしく暮らす場所を見つけることもサポートしています。ライフスタイルデザイン講座も開講していますよ。

神奈川県の三崎にある私設の移住相談所「MISAKI STAYLE」さん と交流があり、とても仲がよいのですが、Atami Stayleに相談に来てくださった方でも移住先として三崎の方が合いそうだなと思ったらMISAKI STAYLEさんを紹介しますし、その逆もあります。また、その相談者さんが今の場所でも自分らしく暮らせると分かった場合は、今の場所でどうしたら自分らしく暮らせるのかを一緒に考えていきます。Atami Stayleは私設の移住相談所なので、熱海に移住場所を限定せず、その人らしく生きられる場所に暮らせるように全力でサポートしています。
ーーAtami Stayleは移住を考える際に中屋さんがほしいと思っていたサービスでしたか?

そうです。移住場所を考えるときにはどんな要素がほしいのかが明確になっていることが重要ですが、当時は自分の移住場所に関するイメージがあまりにも漠然としすぎていたので、不動産の先輩に相談しても会話が成り立たなかったんですよね。今考えると、「毎日砂浜の上で、裸足でヨガしたいから海がほしいから、〈家から徒歩圏内に砂浜があってほしい〉」というのが、私のほしい要素です。不動産屋は条件だけの検索しかできないので、暮らしていくうえでほしい要素が明確になっていないと不動産屋はあまり役に立たない、不動産屋だけでは本当にしたい暮らしは実現できないということに気が付き、暮らすうえで何を実現したいのかをもっと深く聞いてくれる人がいたらよかったのにと考えていました。

クリエイティブで刺激的な雑談が繰り広げられています

3.CLUB HUBlicについて

――CLUB HUBlicの印象を教えてください。

CLUB HUBlicはそれぞれ想いや探究心を持っていて、人生に前向きな素敵な人たちが集まる場だなと思っています。そういう人たちが集まっているので、よく次の行動に繋がっていくようなクリエイティブで刺激的な雑談が繰り広げられています。なので、CLUB HUBlicは作業場ではなくて、人と接する場だなと思って来ていますね。
「今度こんな企画をやろうかな」とか考えていても、自分一人だと「需要ないだろうからやらなくていいかな」と思ってしまうことがよくあります。今回の「スキをカタチにするコラージュワーク」もそうですね。ですが、CLUB HUBlicに来て、人と話していくと、自分の考えたことをして、喜んでくれる人のことがイメージしやすくて、自分の意欲が高まっていくのがよく分かります。

――自分の考えを人に伝えるのは怖くないのですか?

CLUB HUBlicの人たちはみんな顔が見える、知っているのでCLUB HUBlicで自己表現するのは全然怖くないです。ここに来て、誰かと話すことを結構楽しみにしています。
最初にプレゼントしてくださったフェイクグリーンの大きな木
CLUB HUBlicのシンボルに!
――CLUB HUBlicのフェイクグリーンはすべて中屋さんがセレクトしてくださっています!どのような経緯で植物を入れるようになったのですか?

  CLUB HUBlicオープン当初は壁や家具がすべて白で統一されていたので、私のCLUB HUBlicへの第一印象は「白!!!」でした。そこでふと思い出したのが、「病院」。白い無機質な空間に聴こえる音はパソコンなどの機械音、CLUB HUBlicは外の景色も見えないので寂しく感じました。

CLUB HUBlicには「世話ができないので植物を一切置かない」と聞いたときに、「何か、色がほしいな」と思いました。CLUB HUBlicの方にも聞いたところ、同じ意見だったのでオープンのお祝いでみんなでお金を出し合い、大きなフェイクの木と熱海キコリーズの木の寄せ書きをプレゼントしました。集合写真を撮るときでも、シェア店舗側からCLUB HUBlicを覗くときでも、あのフェイクの大きな木がアクセントになり、あるのとないのでは全然雰囲気が違っていたので、もうちょっとフェイクグリーンを増やしてもいいかもねという話になりました。ちょうど私の仕事の別件でフェイクグリーンの仕入れをしていて、その関連のフェイクグリーンが家にあったので持ってきたことが、CLUB HUBlicのフェイクグリーンを導入した1つのきっかけですね。

ーーCLUB HUBlicでお気に入り場所はありますか?

 フェイクグリーンの下のテーブル!
 ちらっと植物が視界に入るだけでも、心地良く感じますよね。植物を設置した後に誰かが「なんか空気が良くなった気がする!」と話していて、「いやそれ気のせいだから」ってツッコミました(笑)。

 視覚効果というものがあります。人間の感覚は不思議で、フェイクグリーンだから匂いもしないし、実際に空気も綺麗にはなっていないのだけど、「植物!!」という思い込みがあるので、匂いもする気がするし、空気もきれいになっているような気がする。面白いですよね。

 あとたくさん本があるのも好きですね。
こちらのテーブルが中屋さんのお気に入りの場所♪

「○○なら大丈夫だよ。」と背中を押してあげたい

4.これからについて

ーーーー中屋さんの夢はありますか?

私の夢はその人がその人らしく、生きられる人を増やすことです。まずは自分の身の回りの人たちが笑顔で暮らせるようにしたいですね。

今の自分には不満や違和感があって、変わりたい。覚悟もできているのにどうしたら良いのか分からないと思っている人には力になりたいと思うんですよね。「○○なら大丈夫だよ。」と背中を押してあげたい。

私はメディアの取材を積極的に受けていますが、それはメディアに出ることで誰かの背中を押すことに繋がったり、雲の上ではなく、手の届く存在の私の生き方を見て「あ、こういうのもありなのか!」「この人にできるんだったら私にもできるんじゃないか」という気づきのきっかけになったらいいなと思っているからです。

 今年の11月に地元浜松で8回目リノベーションスクールが開催予定で、私も講師として呼んでいただいています。講師として説得力のあるプレゼンができる、ものすごいスキルを教えられるとかではなくて、私が今まで経験したことや今やっていることが、私の後を歩みたい人たちの参考になるから講師として呼ばれているという事実がとても嬉しいですし、今までの人生がこうして地元に貢献できているということも嬉しいです。

――中屋さんの野望はありますか?

私の野望は「仕事で色んな土地に呼ばれて行って、色んな暮らしを体験すること」です。

今は子どもが小学生で、家のことが優先順位高いので、熱海を中心に活動をしていますが、子供が巣立ったら、拠点を置かずに人に会いに行ったり、仕事で呼ばれて全国各地を点々としてその土地の暮らしを体験するのも楽しいだろうなと思っています。

ーー中屋さん、ありがとうございました。

※写真撮影時のみ、マスクを外しています。


ー編集後記

 インタビューをさせていただいた時に中屋さんのこれまでのキャリアについて聞き入ってしまい、あっという間に時間が過ぎてしまいました。中屋さんと話していると、「私も自分らしく生きてみたい」と思わずにはいれません。多様な生き方があると認知されてきた今、「どうしたら自分らしく生きられるのだろうか」という問いはどんな世代でも持つ疑問だと思います。自分の興味や関心を認識し、そのうえでどんな人生を送りたいのか、いまいちど自分で具体的に考えて、中屋さんにも聞いてもらいたいな...。(石井)